古びていくのはよろしくない
10月10日。10個手放して730個。本棚に隙間ができたり、服が一覧できたり、書類が少しずつ出しやすくなったり、小さな変化はもちろんたくさんある。ちっとも困ってもいない。暮らしやすくなっていると思う。ただ、ドラスティックに室内風景が変わるわけではない。その点、何かを足すほうが風景が変わりやすいんじゃないかと思ったり。
大分減ったぶん、同居人の荷物が増えてきている。出しっぱなしだったものが少し収まっているのだからそれでもいいのかもしれない。
そろそろ、4年着続けている服も少し入れ替えたほうがいい。夏のワンピースは特に、同じ形で3色4枚。去年1型足して2色2枚。今年も何も買わなかった。思い切ってシーズンの終わりに処分しないと新しくしないと思う。少しは新しくしないと、若さでは乗り切れない年頃なのだから。端がそそけてたりとみすぼらしいのはよろしくない。
なんにせよ、まだ減らしているのだから、買うなら入れ替える。それ以前にできるだけ買わない。このあたり身についてきて、本当に買わなくなったなと思う。いつまで続くかな。
このところ、樹木希林の番組を立て続けに見ているんだけれど、「わたし本当に買わないのよ」といいながら、潤いのあるシーンとしたところに住んでいる。理想とは言わないが、あんなふうなのもいい。
決断が鈍っているのは年のせいか疲れてるからか
10月9日、土曜日。10個手放した。720個。月に2回、不燃ごみを出せる日がある。以前はほとんど出すことはなかったけれど、夏からこっち、必ずなにかしら出すものがある。「せともの」「ガラス」「きんぞく」などとメモを付けて出すと、10時頃にはなくなっていてありがたい。ゴミとして出したものが家からなくなるのは気持ちがいいけれど、消えて無くなったわけではない。そのことを忘れないでおこうと思う。
オット氏の持ち物だったので、その後も使っているものがあるけれど、いらないかなー。よくできていてよく機能するのだけど、大仰。300円ショップで売っているようなものの方が、ちゃちだけど気楽。どうしようかな。
こんなふうに迷っていると埒があかない。これが決断力が落ちてるわたしの実情。元々はオット氏への病気見舞いとしてもらったものなので、手放してもいいのかもしれない。
今日もきっぱりしない雑感でした。
欲しいものがあるから手放す
10月9日。朝からずっと外出して帰宅してから10個手放す。710個。ソーラーチャージャーが欲しくて、なにかとウェブをさまよってしまう。ほかにも欲しい物がいくつかあって、本当に懲りないやつだなと思う。
どうせ家電製品が手放せないのなら、ソーラーチャージャーでモバイルバッテリーを充電しながら、家庭菜園みたいな家庭発電で電力会社の電気利用を減らしたい。災害時にもきっと役に立つはず。イベント参加にも。
小さな庭なりベランダがあったら、発電をすると同時に小さな家庭菜園を持ちたい。コンテナ栽培でいい。小さなコンポストで、ぐるぐる循環させたい。それは長年考えていたことでもある。
早く軽くなりたくなってくる。軽くなって、新しい暮らし方を考えながら、次に必要なものを揃えよう。トシを取りすぎないうちに取り書かれるように、どんどん加速して手放していこう。
片付けで知る無自覚な影響
10月7日、くもりくもり。雨ふりそう。10個手放して700個。また100個。もちろん、10日に一度100の節目なのはわかっているけれど、いつまで続くのやら。すばらしいというかすごいというか、もうしわけないというか。輪ゴム1個を1と数えて10本で10個とかやってみたいけど、気持ちが許さない……。
少しだけ、「コレは必要」に分類したものが手放せた。ささやかなことだけれど、こうやって一歩ずつ。いや、本当はガバっと行ければいいのにね。でも、確実に価値の支点がずれてきていると思う。これって大事。
わたしはどちらかといえばモノこだわりが激しいので、人が大事にしてきたものは大事だと感じてしまう。本当は、そんなことはない。わたしが大事だと思ったものだけが大事なはず。
この歳になっても何に支配されているかが、片付けてるとわかりやすい。迷いは消えるわけではないけれど、自覚的になりつつある。
過去の書類を処分するには
10月6日(水)、10個選んだ。690個。収納の中が減ってきているから、2つの収納の中身をひとつにまとめると空く場所が出てきた。空いた場所を同居人に提供している。もうちょっとペースが早められるといいなあ。
さかのぼって書類を調べていると、だんだん憂鬱になってくるし。書類が残っている場合、半分以上は達成できなかったことだ。達成できるかもと思うから全部の資料が残っている。こういうのは処分していいのかどうか、自分でも迷う。
こんまりだか、「書類は全捨て」と書いてあったような気がする。もちろん、法的に取ってあるものは別として、大抵のものはまた集められるから、貴重な資料以外は全捨てというのもわかる。でも、仕事も生活も混在しているわたしのようなものにとってはなかなか思い切れない。
以前、全部捨てていいんだよと自分に言い聞かせて処分したら後悔したことがあり、ずるずる持っているものがある。
結局一つずつ問いかけるしかないんだろう。
ちまちまと片付けてますけどね。なかなか成果が見えにくい。まだまだ続く……人生は時々転換するので、必要なものもまた大きく変化するんだろう。
暮らしの垢を落とす
10月5日。朝から一日外出。夜、迷いながらなんとか10個手放すものを選んで690個。最近手放すにも時間がかかるようになった。そろそろ10個しばりをやめる頃なのか?もうちょっと、本当にひねっても出なくなるまで続けよう。さすがに新しく発生する紙ゴミなどはすぐ処分できるようになり、溜まるものも減ってきた。あと押入れ引き出し2つ分の遺品をなんとか片付けたい。ここは貴重品ばかりで迷いの多いところ。ここが片付いたら、同居人の荷物もさらに片付くと思う。
片付ける中で、インストールしていないソフトが有るのに驚愕…困ったものです。インストールする!買ったはずなのに勘違いかな?なんて思っていた自分が情けない。それも数年前。それ以前の継続して使ってきたソフトのバージョンアップだったのだけれど、ガラリとインターフェースが変わったので、急ぎの修正のときに旧バージョンを使ってそれきりになったのだ。悲しい…
とにかく、片付けは置き去りにしてきた暮らしの垢を落とすような作業で、自己嫌悪になるときもあるけれどやったほうがいいということがよくわかる。
疲労でなおざりになる時期があってもいいから、時折一生懸命やったほうがいいんだろう。できれば半年に1回くらい。
知っててもできないことがある
10月4日。在宅で片付けしながら10個手放した。680個。修理に出した椅子が帰ってきた。小さな変化に合わせて整えていて、いろいろ移動。移動して、同居人に不満を言われたり。まあ、そんなもんですよね。
手放しスイッチが、入りそうで入らない。一種の愛着障害だと思う。いや、そんな言葉を知っていただけだけれど。手放すって、ぽわっとした丸太の中から自分を削り出すような作業だと思う。何も考えなくてもできるし、考えすぎると動けない。
迷いなく好きなものもある。手に入れたときも本当に嬉しくて、いつまでも手放さない。飽きない。修理に出した椅子を見ればよくわかる。何度でも修理に出し、他の椅子がほしいなんて思わない。デザイナーズだけれど、買ったときはそれが有名な椅子だと走らなかった。他にもちょっと他のがいいなと思って買っても新しいほうが飽きてしまう、そうやってボロボロなのにもう半世紀付き合っているものもある。
本当は、そういうものだけでいいと知っている。でも、なかなかストイックにはなれないね。ある日ヤケになってどーんと手放さない限り、ずっとこんな逡巡の中にいるような気がする。
友人宅で女子トーク
10月3日、晴天!10個選ぶのにだいぶ時間がかかったけれど、670個。そろそろムリかしら。まだまだいけるかしら。なにか価値観がずらせないと手放せないなあ。ゆとりができたとはいえ、まだまだ多い。玄関周りはまだまだ手放せそうだ。
靴が6足になって、ビーサン、ファイブフィンガーズ、地下足袋、フラットシューズ、冠婚葬祭用布パンプス。マトモな靴がフラットシューズと冠婚葬祭用しか無い。おかしな履物だけ充実している。布パンプスが調子がいいので、晴天でなくても履けるものがほしくてショップに同じデザインのカーフか合皮がないかと訪ねたら作っていないそうだ。そのかわり、若干の雨なら大丈夫なように加工してあるらしい。3年も同じもの(1度買い替え)を履いているのに知らなかった。減らさなかったら思いつかなかっただろうからこれは収穫。
緊急事態宣言が解除になって、友人宅で宅飲み。なんと素晴らしい時間か。感謝してます。久々に会うので、近況、恋バナ、仕事トーク、韓流ドラマや農,何から何まで数時間気心の知れている友人と食卓を囲むのは本当にたのしかっだ
気圧は下がる時も上がる時も差が大きければしんどい
10月2日。大雨の台風から一転して大晴天。昼間は暑いくらいだった。10個手放して660個。書籍の整理がだいぶ進んできた。そうそう捨てる、売る、送るが簡単ではない本ばかりが残ってきたが、まだまだ多い。
仕事はいろいろ作業が滞っていて情けない。このところ不満ばかり。眠い、痛い、仕事が溜まる、家が片付かない、どうもイライラする。こんな時こそ時間を作って昼寝と片付け。
亀の歩みなれどもなんとかする気合をかき立てるべく努力中。やっぱり体調が万全ではないんだと思う。
撮り溜めていたNIGHT HEAD 2041 をまとめて観た。絵が好き。最後大慌てで回収している感はあったけど、再放送があったらまた観そうな気がする。
明日は台風
10月1日。10個手放して今日で65日目、650個。きのうも1日中外出していたので、また家の中が荒れてきた。荒れないくらいしか持たないというのもいいんだろうなと夢想する。
パット見変わらない家の中だけれど、少し棚がすいて書類や本が取り出しやすくなったり、零れそうな書棚が整理されたりいろいろしている。鍋も取り出しやすくなった(しょっちゅう使わないものの置き場を変えた)し、いまのところいい事ずくめ。こうなると、食事の下ごしらえをしておいたり(保存容器使いやすい)、食器洗いがいやじゃなくなったりいろいろいい動きもある。
テレビで女優が3ヶ月に1回くらい断捨離して、手元に必要なもの以外残さないという話をしていた。すばらしい。わたしは迷いばかりだ。
野菜の直売所に行ったり取り寄せたりすると、冷蔵庫が一時的にギチギチになる。これを一切ダメにしないでバリバリと使い切っていくのは快感だ。これも冷蔵庫がスカスカだからできること。ここ5年ばかり、冷蔵庫は鍋ごとしまえるくらいスカスカ。これだけはわたしの平安の種。
家中がそうなりますように。