手放す日記

モノもコトもヒトも手放していく。カラダと五感を磨く。

買うなら考える

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8月17日。夏休みも終りが見えて追い込まれている感(いや、夏休み無いけれど、8月後半になるとなんとなく焦ってくる)があるんだが仕事も家事も進まない。10個手放した。まあ、1個とか5個とか10個とか枠を作るのは、わたしみたいな「まーいいわいいわ」な人には少なくとも刺激になる。これで200個。

「安いからありがたい」には気をつけようと思う。安いものは安く作られている。人件費が高くてそろそろ中国で人が作るもの(マシンが作るものは別)は安くなくなった。だったら日本で日本人にお金が回るような作り方をしたほうがいい。「安い」は作った人の時間や命を安く買うことだ。お金がなかったらちまちまためて買えばいい。「1枚の布」がそんなに安いわけがない。安いなら、安いだけの理由がある。誰かが我慢している。大量に綿花を採るために土地を買い叩いて広い農園を作り、人を安く雇い、大量に化学肥料や農薬を撒いて収量を上げる。地球から収奪している。土は汚染され、川は汚れ、下流では病気が起きる。本当に裏を考えて気をつけないと、収奪される側になる。

服を買う。よかれと思ってリサイクルに出す。海外支援になるらしい。海外には世界中から服が持ち込まれ、支給される。誰もが選び放題。服を配る上流の勢力に加担してないか、その土地の繊維産業や服飾産業、洋服屋のおやじを圧迫していないか、送った先でごみになっていないか。日本でも養蚕して絹を作る道はほとんど断絶した。和綿も同様。輸入したほうが安いから。ヒステリックにすべて国産を振りかざすことはないし、なんでも自給、なんでも国内完結はムリだけれど、物の生まれるところから手元までをもっと意識したいと思っている。

本当に必要なものを、誰も苦しまない適正な値段で少し買う。収奪から少しずつ離れる。そうやって生きていきたい。