手放す日記

モノもコトもヒトも手放していく。カラダと五感を磨く。

節約か、美しさの追求か

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物を減らしたいのか節約したいのか、自分の本心がわからないと思うことがある。目標はどこだったんだろう。「ほしいな、いや、ほんとにいるかしら」という問いかけは、どちらも一緒。

「ここでお財布を取り出すと物が増える」

「ここでお財布を取り出すとお金が減る」

同じ行動でも視点が違う。

 

我が家はお金のかかる事情がいくつか重なったので、シニアに片足突っ込んだのに不動産も金融資産もなくすっからかんからここ2年ばかりコツコツ貯金を始めたような状態で、これまた事情が重なって、もうすぐ支給される試算によれば年金も家賃にも足りず、年間数10万円らしい。

よくあるように、歳を重ねれば体調やら心の調子も思わしくない日も多い。実家もなく、すでに配偶者もなく、今は居候がいる。

物を減らしてせめて家を広々と美しく使いたいという視点で始めたはずなのに、みみっちい気分になることがあるのだ。節約しなくちゃ。でもね、ここで視点を落としたら悲しくなる。やってること自体が贅沢なんだという気持ちでいたい。

いつだって、気の持ちようで自分の立ってる場所が変わる。美しいものを求めて、楽しく、わくわくしながら素敵な未来を作ろう。

ちょっとだけ振り返り、今日も手放した

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たくさん、毎日少しずつ手放すのはリハビリのようなものだったと思う。やっているうちに、自分にとって終わったことや、代用しようと思えばできるものがあるのに気づいた。終わったことであっても執着がまったくないかと言われたらそうでもないのだけれど。ということで、今日も12個手放して。もらってもらったもの、ゴミ箱に入れたもの。もう、本当のことを言えばわたしの暮らしはまだまだ不要なものだらけなのだろうと気づいたのが、1000個まで1日10個手放してみるということだった。

100日とちょっと10個手放す毎日の中で、もういらないものなんて無いよと思ったことが数回ある。そのたびに、「このジャンルはいらない」と思い直す。すると、ずるずると不要なものが出てくる。やることが多すぎると思っていたのは、やりたい欲が深すぎるということなんだろう。何度もこうやって同じことを考えながら、これからも手放す暮らしが続くんだろうな。

そのうち、ドサッとガバっと手放す日があるだろう。そしたらすっきりするのか、わたしにはよくわからない。まだわからない。新しく暮らしに物が入ってきて、要らなくなったものがするっと出ていく、そんな日が来るのだろうか。

この期間中も、新しく手に入れたものはある。どれもヘビーユース。今不要になっているものも、手に入れてしばらくはヘビーユースだったのだから、「終わった」ことが自覚できれば今のようなことにはならないのだろうと思う。とても手放せないと思ったものが、するっと要らなくなる日が来る。

ということで、この手放す日記もまだ終わらない。ぐるぐる回りながら手放していこうと思う。

1000個が手を離れたが、暮らしは変わったのか

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11月9日。とうとう1000個目の日がやってきた。特に感慨はなく、これからも1日10個と言わずとも手放す暮らしは続くんだろうなと思った。わたしが満足するまで。いくつかは新しいものが入ってきて、その分何かがなくなっていく。

1000個無くなっても、見た目が少しスッキリしたくらいで暮らし方は変わらない。まだまだ複雑すぎるんだろうと思う。ゴミを出すのが嫌で、特にプラごみがストレスなので、マヨネーズやらなんやら自作するものが増え、そっちの方が暮らしに影響を与えているかもしれない。使っているつもりで、年に1度や2度なら代用が効くので手放しても困らない。多分要らなかったのだ。消費は楽しいけれど、それは娯楽なのかも。切実さが足りない。

今日はIKEAに行ってきたのだが、ワクワクするようなものがありつつ、いろいろ住まいのことを考えつつ、買ったのはクッキーとケチャップ、キッチンクロス。キッチンクロスは先日手放したものの差し替え。2枚ともへたっていたのを、1枚手放したけれど、今回の買い物で2枚とも新調した形だ。1枚はカットしてキッチンの掃除に使う予定。キッチンの拭き掃除に使って、洗ってもきれいにならなくなったらカットして拭き布にして処分する。以前は紐にして新聞を縛ったりしたが(裂いてつないで巻いておく)、新聞を取らなくなったらすっかり使わなくなった。

来年も紙の手帳は手放さない予定なので、来年の手帳を買った。使いこなしている感じがあるわけではないのだが、ここを見れば全部書いてあるという安心感がある。複数のプロジェクトと家事を抱えているから必要だけれど、そのうちいらなくなるんだろうな。わたしにとっては手帳はスケジューラーというよりオーガナイザーだ。手帳を買った途端に年末な気分になる。あとちょっと。恐ろしい1年だったとしか言いようがない。そろそろ遊びながらハッピーに仕事をしたい。

手放せそうなもの

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11月8日。ささやかに10個手放して、990個。大詰めですね。

好きじゃないご飯茶碗をひとつ手放して、小さいのでいいやと思ったのだが足りず…新調しようかなとワクワクしたのだけれど、抹茶茶碗をひとつ飯碗にした。そういう形だったので。お茶漬けも食べられて満足。スープを入れたりご飯食べたりしているうちに、平気でレンジにかけるようになった。面白いな、茶碗は全く変わらないのに、わたしの扱いひとつで意味が変わる。お茶の道具は一部預かっているものもあり、区切りをつけるようなつけないような気持ちできたけれど、もういいかな。手放さないものもあるけれど、あとからやってきたものはもういいのかもしれない。なんかごっそり不用品が出てくる予感。ちょっとは削ぎ落とせるといいなあ。まあ、無理せずゆるやかに。

「やることを減らす」ということの意味がよくわからなかったのだけれど、これらの日々を通してちょっと学んだのかもしれない。人生はそんなに長くない。

四季の服を保つ必要はあるのかな

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11月7日。日曜日。朝からずっと外出していたので今日も5個。手放した数は980個。例えば東急ハンズやLOFTのようなところに行っても、もともと買おうと思っていたもの以外は買わない人になっている。なんとなく、「今日は無駄遣いしたい」と思わない限り、余計なものは買わない。意識的な浪費をするのは一種の遊びで悪くない思うのだが、あまり欲しくならない。それより、持っているものを使い尽くせるかどうかのほうが気になる。

ここ1ヶ月、腕が痛くて回らない。関節の痛みはまったくない、筋肉の痛みなのだが、これも五十肩というらしい。腕が後ろに回らないので、いろいろ不便がある。激痛。ちょっと無理をすると、寝ても夜中に痛くて目が覚める。こまったものだ。わたしの知る限り、五十肩の人は痛い痛いと言いながら少しずつ筋肉が補完するらしく、薄皮をはぐように気づかないくらいのスピードで平気になっていくようだ。いつかはわたしもそうなるだろうが、どのくらいかかるかな。

大分冬に近づいてきた。着るものをどうしようかと考える。フランネルのワンピースが3枚あるほかは、コートしかない。夏から秋に着ていたものを重ね着するか、なにか買うのか。今や喪服のジャケットは普段ちょっと襟のある上着がほしいときに使っている。もう、ファッションのタガがはずれてしまったようだ。ここを経て、なんとか収束していくんだろうけれど、今は過渡期。案外ずるずる重ね着するのもいいなと思い始めた。麻も、綿も、ウールもいっしょくた。

手放すことは、やめること

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11月6日。今日は5つ手放して975個。別にもったいぶっているわけではなく、日付が変わってしまった。1000個になったらまた数えない暮らしに戻るつもり…ほっとする。物事はつながっているので、晴れ着が着物なら周辺の小物や履物、バッグと着物のときにしか使わない、しかもお祝い事にしか身につけないものが増えていく。だから、「このジャンルもういらないな」となるとドサッと手放せるものが出てくる一方、迷っている間はなかなか手放せない。そういう見直しをつねづねしていかなくては暮らしは混乱するのだと思い知った。

かつて50足以上の靴を持っていて、履きながら減らしていった経験がある。鍋や食器もコレクションかなと言うくらい持っていた。誇りだったこともある。そういう時代だったのだと思う。ものをセレクトする視点には自信があったし、考えながら独自に自分ならコレをと選んできたのだけれど、むしろ最先端で流されていたのかもしれない。

このあいだ、そのまんまの人間の知恵や力をもっと信じたほうがいいだろうと考えていたとき、無しでやれる技術を持った人が面倒さを解決する技術を手に入れるとものすごく便利になるけれど、便利さが当たり前で、無しでやれる技術を持っていないと、むしろ価値がわからないんだなと思った。

手放しながら、コレがなかったらこのくらい面倒だけどできないことないな、どうする?と自分に問いかけていた。こんなに「これいらないかも?」と思いながら暮らした時期もないのであとちょっと楽しもう。

 

自然はいろんなものを与えてくれてる

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11月5日。なんと970個。5つとってあったものを2つ減らしたりしているけど、いる時買えば?と思えば全部手放せるよね。そうやってミニマルになる人はなっていくんだろうな。わたしはまだ決心がつかない。

ギリギリの数だと思ったソックスや下着もなんとか回っているしね。なかなかすごい。

人は、もっと自分自身の工夫や考える力を信じて、ものを手放してもいい。ただ、突発的なことは必ず起きるので、店とお金がある、もしくは助け合える仲間が近くにいることが前提。

わたしは少しだけエネルギーを自給することを考えるようになった。食料自給、エネルギー自給ができるようになったら、全ては自然の恩恵を受けつつ、消費一辺倒から抜け出せる。

こうやって、文明で無くした力を少しだけ取り戻すのかも。

もっと若い時に気づけばよかったのに。太陽や風、海、水、そんないろいろに、ありがとうと言いたい。

 

時代の変化が大きくなったよね

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11月4日。10個手放して960個。チマチマと片付けているという感じ。そうこうしている間にも、書類が入ってきたり、仕事関係で資料やディスクなどが届くので、なんとなくデスクに積み重なったりする。以前に比べれば思い切りよく捨てるものは捨てることができているのだけれど、それでも少しずつ蓄積する。現役を終えたところで、社会的活動はあるわけだから、「増えない」というわけにはいくまい。処理を超えているということなんだろうな。

そろそろ手放すには、習慣を変える必要が出てきそうだ。たとえば、冷蔵庫の使い方や書類の保存習慣。逆に言えば、たいして何も変えずにこんなに手放せるなんていかに無駄な暮らしだったかと言うことだ。まあ、60代になって思うけれど、かつて思っていた「いつかのために」は本当に役に立たなくなったと思う。

このところ、NHKでは脱炭素時代のレポートが放送されている。電気をどんどん使う時代もおしまいになるだろう。大きなインフラより、スモールグリッドの時代。今の自分に合った使い方、習慣をしっかり見据えたい。

 

一度すっきりさせても次がやってくる

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11月3日。きのうは少し早目の時間から稼働したので疲れでへこたれていて、手放し活動はなし。本日は寝まくってから少し手放せるものを探した。10個手放して950個。また、見ないことにしていたファイルが片付いた。何が入っているかよくわからない場所がどんどん無くなって、ストレスが減る気分。これが断捨離効果なんだろう。ぜんぜん断捨離していないけれど、ささやかな片付けにもささやかな効果がある。

食器と本は引き取ってくれる業者をよばなくては。大したものはないけれど、自分で手放せる気がしないので。これにもまたしばらく時間がかかりそうだ。すぐ思い当たる相手がいない。

このところ、買い物はほとんど食べ物など消耗品なのだが、長く気にかかっていたポータブルの太陽光発電パネルを注文した。出し入れに都合のいい場所が空になったので、災害対応のものを少し揃えようと思っている。エネルギーがほんの少しでも自分で作れると、安心感がぜんぜん違う。火を使わなくても灯りが取れるのはすごくいいと思う。USB式の電子ライターもあるらしいし。

仕事場を片付けたら、前任者の残したものがイロイロ出てきた。捨て方の難しいものがいくつかあって持ち帰った。これも捨て方を調べて処分しないとね。さまざまな書類も出てきて、分類分別&整理しなくては。

一度片付いてすっきりしても、次から次へとものはやってくる。こういう流れを止めることはできないし、ある程度経済力のある国は誰もがこんなふうに暮らしているのだろう。日々決してリッチではない暮らしなのに、モノの多さには相変わらずあきれるばかり。

家具から道具までいくつあるかな

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11月になりました。はい、940個。かなり隅々まで点検してきた感じがする。あと数カ所チェックしていないところがあるんだけど。一応記憶にないようなものではないのだけれど、「こんなにいらない」とか「このジャンルは持ってなくていいか」とか色んなものが出てくる。時々自分の持ち物の棚卸しをするのも悪くないですね。手放しているものが1000弱、ということはたぶん、スプーン1本まで数えると10000くらい持っている気がする。そんなことはないかな?四季の道具もあるしね。

そのうち、数えながら手放したりしまい込んだりしてみたい気もする。10000もあったらリスト化できないけれど。

書類も、かなり目を通せた。いらないものは処分できた。あとは、今いると思っているけれど実際はなくてもなんとかいけるものを選ぶんだろうな。コレクションしていたものもあり、なかなか大変かも。

明日まできちきち働いたら、あさっては休めるのかな。いろいろ無茶な感じの仕事になってきていて、自分の疲れやすさとバランスが取れなくなってきている。

ひだまりにすみれが咲いていた。植物にとっても、季節の変化を追いきれないレベルなのかもしれない。