手放す日記

モノもコトもヒトも手放していく。カラダと五感を磨く。

いくつかアカウントやログも削除

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9月1日。めっきり涼しい。10個手放して350個。快進撃。子どもの頃から実家に有った菓子皿を手放した。金銀の砂子七宝のものでいいものなのだけれど出番がない。ノスタルジーで持ってきたけれど使わない。もちろん持っていてもいいのだけれど、屈折した子どもだったから実家自体がいろいろ思い出させる。最小限にしよう。ほかに、バブルでアタマがおかしくなってセールで買った高級品ももういらない。話題の店で「買いたい」欲で買ったものももういらない。

そういえば、新しくブログを書いていれば、昔のログが要らなくなる。読み返して懐かしいとか無い。わたしには吐き出すことが必要なんだと思う。死んで何を残したいというものもないので、いくつかあちこちに残してあった文章のアカウントを消した。読書記録や生活記録など。よく、あとあと資料として残すとか、市井の記録こそ大切とか言うけれど、死後恋文が発見された夏目漱石は何を思うだろう。好きにしてくれと思うだろうか、それとも勘弁しろよと思うだろうか。いない人なんだからどうでもいいけれど、今生きているわたしにしてみれば、「お願いだから捨てて」と思うだろうな。

アカウントや書いたものは、手放したものの数にはカウントしていない。