手放す日記

モノもコトもヒトも手放していく。カラダと五感を磨く。

225 ミニ折りたたみ椅子

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これも出番のないもの。我が家はアウトドア活動とは本当に縁がない。たまにこういうものが家にやってくる。ちょっと無理して使うのだけれど、もともと要らないものなのですぐ使わなくなってしまう。

この椅子も2つあって、1つはずいぶん前にひっそり手放してしまった。今回これを手放しても、きっと誰も気づかないはず。

本当は、家族で相談しながら手放して行くといいのだけれど、「取っておけばいい」という人がいるので、ちょっと不本意ながらそうっと手放す。

問題は物の数より家族内のコミュニケーションと理解かもしれないなあ。

223 古鍵

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以前小道具にと希望があって差し上げた鍵が返ってきた。形も美しいのだけれど、美しいだけのものを持っている余裕がない。わたしには使い道がないと話したのだけれど、結局戻ってきた。

こういう時は、元の場所に戻さずに処分してしまう。

だんだん明らかに要らないものは見つけるのが大変になってきた。まだまだ物だらけなのだが。

222 会計補助書類

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12年分は残してあるので、その前の書類を一掃。モノを減らすと言ってもいろいろ難物が。調べて処分するとか、とにかくヤケクソにならないことが必要。

面倒だからと後回しにして来たことがとても多い。新年そうそうあまり反省したくないけれど、いろいろありますねえ。

早くすっきりはっきりしたいものだ。

221 錫の酒器

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残念ながら全然使わない。いただき物で、良いものだということがわかるので、今まで手放すことができずに来た。もう長いこと天袋にしまわれていて、ずっと気になっていたのだが、機会があったら人に譲ろう、売ってもいいと思いながら何もしなかった。

反省して、今日、手放すことに決めた。

こういうのが、よくないところ。捨てようという勧めではなく、いらないものは断る、もしくは早く決断して手放す。

くださった方に感謝しつつ、本当にごめんなさい。

220 スタンプ

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大量にスタンプを持っていた。ラッピングペーパーを自作したり、ファブリック用のインクでプリントをしたりした。ずいぶん減らしたけれど、5つを残して5つ処分する。

パソコンが当たり前のものになり、スタンプもいらないみたいだけれど、多分また使うようになると思っている。

219 古い名刺

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さすがにぼかしてみる……

元日1日「手放す」もお休みして、今日からまた始まる。朝から古い名刺の整理。

何度も何度もしていることだけれど、人に会う機会が多いのですぐ溜まる。企業人の多い集まりに行くと、まるで名刺交換会みたいになるのだが、名刺を交換しただけではよくいう人脈にはならないのに、とても不思議。

だいたいが、知り合いを「人脈」などと、値踏みするような言い方は嫌い。気持ちのシェアのできないような付き合いならやめてしまえばいい。

まあ、プンプンするようなことではなく、淡々とあまり連絡を取る機会のなさそうな名刺を処分。

2017年、もっと豊かな日々のために

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新年おめでとうございます

今年も昨年と同じく淡々とモノを手放して、いつかびっくりするくらい少ない、でも十分な物との暮らしをしたいです。

同時に、おつきあいや暮らし方、仕事にも変化が訪れますように。

モノを手放しながら、不思議なことに、浮かんでくるのは感謝でした。

たくさんの感謝と、未来への祈りに満ちた一年になりますように。

今年は、少し読んで楽しいブログというのを目指してみたいと思っています。

よい一年になりますように。

218 オーブンの部品

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グリルとして使うときに使うオーブン部品。オーブン機能が壊れたので、今後使えるようにはならないだろう。余裕ができたら買い替えをする予定。

この部品は使わなくなって長い。とりあえず今のオーブンを延命したとしても、この部品は使わないのだから、今年のうちに手放してしまおう。

今年の「手放す」を振り返る

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数年前から、少しずつモノを手放してきた。余分な椅子やストーブ、キャンプ用品やさまざまなものは粗大ゴミに。ブックオフにもずいぶん本を持って行った。服も半分以下になっていた。差し上げるものはずいぶん分けたし、フリマも何度か参加した。マルシェに古本屋で参加したこともある。

この夏、これから手放すものをブログにしようと思ったのには訳があるのだけれど、それは胸にしまっておこう。

ブログを書き始めたら、まだまだガラクタがあるのに気づいてしまった。正直なところ、こんなガラクタ掲載して、何をやっているんだろうと思ったこともある。カッコつけようのない、そのまんまの記録だ。手放すたびに考えた。それもまたわたしの蓄積になっている。

8月からのたった5ヶ月の間に、パソコンや冷蔵庫を含む6つの家電が壊れ、家族が大きな病気で入院し、なんだか大きなデトックスみたいなことになっている。

溜め込んだものを、ひとつひとつ判断しながら手放していくのは無かったことにしている秘密を白日に晒すようなことだと思う。なかなかにしんどい。でも、引越しの時に闇雲に手放すのとは違う、向き合いながらの「手放す」は、いろんなことを考える機会をくれる。家ってなんだろう、家族ってなんだろう、豊かさってなんだろう、思い出ってなんだろう、幸せってなんだろう。

まだまだ来年も、手放す暮らしは続きそうだ。